遺書

三日坊主なんで多分すぐやめます。

(仮)安寧の地を求めて

API騒動があってからというもの
twitterに代わるどこかを探す人が増えた。

「あくまでtwitterはその”どこか”が見つかるまでの繋ぎですよ。」
なんとなく、そんな空気感がネット全体に蔓延っている気がする。

心なしかtwitterで見る呟きが少なくなって
「自分が知らないだけで、大きくて楽しい場所に皆集まっているんじゃないか」という気分になる。
大縄跳びで自分だけ入れなかったあの時を思い出す。

今はとりあえず様子を伺って(仮)でtwitterは続けることにする。全てにおいて、何か(仮)でやっている様な気がして怖くなる。

 

いっそのことtwitterが無くなってくれればいいのに

偶然、時を同じくして人生にも大きな変化があった。
約2年続けたフリーランスの生活から紆余曲折あって、新規のプロジェクトに参画させて頂き、完全にフラフラしている身から割と大きいゲーム会社の所属になった。
(かなり正直な話をすると「AIの進化によって、自分のしている仕事は早くて一年後、遅くとも三年後には無くなってしまうのではないか」という漠然とした不安があり、その時に末端のフリーランスという立場ではあっという間に生活が出来なくなる未来が予想されるので恐怖感がありました。会社所属になってディレクションの経験があれば話は別なのでキャリアアップが成功して今は鬱もほとんどなくなった、良かったです。)

大きい会社だけに福利厚生がしっかりし過ぎていて、夢を見ている様なフワフワした気持ちになって現実感がない。
自分の仕事も(仮)のような気分だ。
(この独特な気持ちはコジコジを観ている時の感情に似ている)

それはそれとして、これまでは納期に合わせてイラストを間に合わせれば良かったが、これからは出社の必要がないとはいえ、チームの活動時間に合わせて生活する必要があるので、日中は起きていなければならない。
この生活様式は久しぶりなので仕事が終了してから就寝するまでの6時間あまりがぽっかりと浮いた時間になってしまった。(これまでは納期のギリギリまで遊んでいて仕事をしたらそのまま寝ていた)

この絶妙な時間、皆何してるんだ…?
何をしていても
「他の人はこの時間、何をしているんだろう」
という気持ちになってしまい正解の時間を過ごしている気がしない。仕事が終わって明日の朝を待っている時間は何をするにも中途半端で完全に遊ぶモードには脳が切り替わらない気がする。

この前は無印にいって冷麺を買ってきた。

無印の盛岡冷麺、おいしいのでオススメです。
どなたでも正解の過ごし方を知っている方、教えてください。

 

(仮)といえば、阿佐ヶ谷から現在住んでいる荻窪2LDKに越してきてもう半年以上経つのに、自分の部屋の居心地を良くすることに手いっぱいなのでリビングが未だもぬけの殻の状態で、友人から「ガンツの待機部屋」と呼ばれている。

そのお陰で何をしても”仮住まい”感が抜けきらず「この家に住んでいる」という実感がまるで湧かない。

もう少しでこの部屋にソファとローテーブル、テレビ台が届く。
ちゃんとしたリビングになれば少しでもこの仮住まいの様な感覚から脱却が出来るだろうか。

 

SNSも仕事も家も、もっと大げさにいえば人生も
今、抱えている全ての(仮)もいつか日常になる日がくるのだろうか
全てを自分にとっての”安寧の地”にしなくては。

そうすれば何か大きい呪縛から解放される気がする。

 

P.S.
twitterが無くなればいいっていうのはやっぱり嘘で
皆で「せーの」でどこかに行きたいだけなんだ、俺は