脆弱である事を受け入れる
最近思う
人生って漠然とした不安で眠れない夜を毎日なんとかやりこなす事なんだろうか
この不安が”漠然としている”だけまだ贅沢な悩みなのかもしれない
世の中には明瞭な不安や不満を抱えている人だって多いはずだ。
20代も半ばになり、友人とそんな不安を口に出す事が増えた。
幸い友人の中では特異な考えという事もなく、大体の割合で同じ様な悩みを抱えていたので建設的な話し合いが出来た様な気がする。(類は友を呼びまくっているな、と感じた)
寄って話した結果、人生における五月病みたいなものかもしれない、と結論が出てひとまずは納得したのだがこの五月病が治る気がしないのがツラい、大丈夫だろうか???
なぜこんな気持ちになっているのか原因を考えてみた。
生きてる時間が長ければ長いだけ、自身の可能性が収束していく事を感じるのが原因かもしれない、子供の頃は無限大である自身の人生の可能性も大人になるとある程度見渡す事が出来て、その先に特別楽しい事が見通せない場合、なんのために頑張って生きているのかわからなくなり、モチベーションが保てなくなる。
そうか、俺は今生きる為のモチベーションが足りていないんだな
まぁもし仮に生きる為のモチベーションが足りていないとしても、死ぬ為のモチベーションはゼロなので何かが変わる訳では一切ないが(あれ?もしかして皆そのくらいのノリでなんとなく人生をやっているのだろうか・・?そうであってほしい)
引っ越し予定なんですが
— 大学 (@NeruneNeruneu) 2022年10月6日
今「良いな…」と思ってる新居の間取りがほとんどナワバトラーのショクワンダーなんだよな pic.twitter.com/OXkk561dUF
とりま来月には引っ越しがあるので俺は生きていくぜ
莫大な初期費用を生贄に今よりも広い部屋を召喚
俺の愛した阿佐ヶ谷での生活を墓地へ
ターンエンドだ・・・・
というか俺本当に阿佐ヶ谷を引っ越すんだな
こんなにも阿佐ヶ谷を愛しているのに、、、、、
新しい家のある場所もかなり好きだけど阿佐ヶ谷より愛す事が出来るだろうか
雑誌『散歩の達人』の今月号が阿佐ヶ谷を特集していたので未練がましく買ってしまった。
この雑誌を買って初めて気づいた事だが自分の家から徒歩30秒でつくビルの屋上が公園である事を知った、しかも結構広い、良いところだぞこれは
(住所が特定されかねないが、もう引っ越す場所なので良い、それは残像だ)
阿佐ヶ谷が好きで色々な場所を網羅している気でいたが、1年半もいたのに家のすぐそこにあるこんなに良い場所をこれまで知らなかった事に本当に驚いた。
知っていたら週1で通っていた様な気がする。
なんとなく人生ってこんなもんだよな、と思った
諦めたり、もう終わりだと思った時、意外と近くにささやかな幸せと生きる為のヒントが転がっているかもしれない
P.S.
皆もなんとなく、で生きてますよね
そうなんですよね、、? ね、、、、?