遺書

三日坊主なんで多分すぐやめます。

誰一人取り残さない社会の実現と村社会

今ではまるで考えられないが金髪だった時期がある。
高校の卒業旅行の大富豪で負けて
”大学4年間を金髪で過ごす”という重すぎるペナルティを律儀に完遂した為だ。
当時の写真を見ると今でも震えてしまう


こんな奴つるんでて一番面白くないだろ


話は変わり、今日友人と夏休みの過ごし方について話した。どうやら友人は栃木に旅行に行くらしい
旅行に対する私見の話になり
自分はどこに行っても「田舎だな」としか思わないので旅行に行けば行くほど嫌いな土地が増えていく
という話をしたらドン引かれてしまった。そりゃそうだ
自分はなぜ田舎が嫌いなのか、トラウマになる様な事があったのか?という事を話していてひとつ思い出した事がある。
免許合宿で”日本で一番人口の少ない県、鳥取”にいった時の話だ。
先述した通り、免許を取得した時は金髪だった為、同時期に合宿に参加したヤンキーに「こいつは仲間だ」と思われてしまい初日に"友情の証としての肩パン"を食らった挙句、怖すぎるので虚勢を張っていたらそのキャラが何故かヤンキーに激ハマりしてしまい仕方なく合宿の間の二週間をヤンキーとして過ごした経験がある。
最初の三日で"喫煙所の水を貯めるタイプの灰皿に放尿をする事がかっこいい"という今考えてもよくわからない流れが出来上がり、自分が陰キャである事がバレないように「きったね~!」と大声で繰り返し残りの一週間余りはとにかく声を出しては怯えながらヘラヘラしていた。
鳥取は日本で一番人口が少ない県であり、日本一の田舎であるという事は知っていたが合宿所の周りに建物はほとんどと言っていいほど無く、唯一”コナンの作者の出身地が鳥取”という要素に町おこしの活路を見出した結果、建物はないけどコナンのパネルだけはやたらと立っている奇妙奇怪な現象が起きていて「どこにも自分に逃げる場所はない」と感じて田舎が心底嫌になってしまった。
何もない野原にコナンの銅像だけが立っている場所でゲームの見えない壁を前にしているかの様な感覚に陥り、静かに絶望した事だけをはっきりと覚えている。


新手の呪いだろ、こんなん

そんな苦い思い出があってからか、免許合宿を経験してから以来は人が大勢いる様なわかりやすいアクティビティがある場所を好むようになった気がする。
思えば自分はいわゆる田舎の暖かさをどこか生き辛いものとして捉えている。人が少ない場所では自分という存在の認知が明確になってしまい常にだれかに監視されている様な気分になる。村社会というやつだ。自分の意志で赴く先には”人と会う事が物珍しい事から発生するコミュニケーション”が存在しないくらいの大勢の人がいてほしいし、無理な町おこしでこちらが気を使ってしまうような寂しい銅像はみたくない。


また、友人との会話で最近感動したことの話になりEVO(世界最大のeスポーツ大会)で全盲のプレイヤーが勝利しているのを見て心が熱くなった話をした。

上記のインタビューで、開発者が盲目の人から受け取った手紙の話に言及しているがプレイヤーはもちろん、その手紙を受け取って全盲の人でもゲームを遊ぶことを前提とした調整を実現させた開発者に対して拍手を送りたい。
最近芥川賞を受賞した『ハンチバック』の市川沙央さんの会見などでも感じたが、こういった取り組みこそが真のポリティカルコレクトネス、誰一人取り残さない包摂的で多様的な社会の実現なのではないか、と感じる。

俺みたいな偏屈でも生きれるような誰一人取り残さない村社会が存在しておくれよ

 

P.S.
友人がしてくれたキングテレサの物真似が上手すぎて爆笑した。
皆に聞かせる事の出来る手段がないのが悔しい