悶々go
「ポケモンgo」
というアプリが先日配信された。
説明しなくても、おおよその概要は大半の人がわかっている位には社会現象が起きているので説明は省くが、つまり《外で歩いてポケモンを捕まえるというアプリ》である。
これが意外に厄介でこのアプリの登場によって
【「歩きスマホが助長される」
「いや、されないけど?」論争】
が巻き起こる結果になっている
ゲームのシステム上、歩きながらゲームを起動するのが常である為、確かに助長しているかもしれない
自分自身がポケモンgoに触れてみて初めて抱いた感想は
「あ、これ事故るわ」
だったし、実際に事故も数件(分母がとんでもない数なので事故発生率で見るとほんの0.数%であろうが)起きている。
この問題についてネット上では
ポケモンgo批判派
ポケモンgo批判批判派(あくまで賛成派ではなく批判している人を批判する事に重きを置いている)
ポケモンgo批判批判批判派まで出てきてしまう始末である。
「批判批判批判派」についてはそれはもう批判派なんじゃないか?という疑問が生まれそうだが「ポケモンgoを批判している人に対して批判する人を批判する人」なので当初の問題とはズレて批判する、只の批判派とはまた一線を画す別種の存在とみて間違いない
批判派の言い分としては
「歩きスマホを助長している」
「なにより危険」
というのが主な意見であるが
「こんな危険なアプリこの世からない方がいい、楽しんでる人は頭おかしい」
という非常に攻撃的な意見も存在する。
後者に関しては批判派の中でも極めて危険な部類で「頭ごなし批判派」と細分化するべきかもしれない。
批判派も一枚岩ではないのだ。
批判批判派の意見では
「歩きスマホをしなくても出来るシステムがある(実際バイブで知らせてくれる機能がついている。)」
という賛成派に近いものから
「空気も読めないの?楽しんでいる人が大多数だしルールを守ってやってるならいいじゃん?」
「楽しんでる人の横でわざわざそれを言ってくるのはどうなの?」
「批判してる人の方が頭おかしい
何かっこつけてんの?意識高い系?」
という正に批判派を批判しているお手本の様な意見もある。
こうなったらもう戦争である。
「頭ごなし批判派」と「頭ごなし批判批判派」の戦いとも呼べるかもしれない
更に批判批判批判派の意見は
「歩きスマホは人によるかもしれないけどゲーム事態に欠陥があるのは認めた方がいい」
「実際に目に見えて迷惑なのにそれを指摘したら空気読めないとか流行に乗れないとか言ってるそっちのが頭おかしい」
開戦の合図である。
Twitter等のSNSでは今現在でも日夜この論争が繰り広げられていてポケモンgoに対する批判の記事があれば大概のコメント欄が戦場と化しているので興味があれば覗いて見る事をお勧めする。
個人的にはこの論争を端から眺めているのが一番面白いポケモンGoの使い方ではないのかと思う。
これだけ長々と書いたが、もちろんルールを守っている人が大半だし、そんな論争からは無縁で純粋に楽しんでいる人が大多数なので世界は平和だ
今回の短歌
マンホール
次元の壁を乗り越えて
龍が飛び出す
p.s
僕は「中立派」です。